南部もぐりについて [南部もぐり]


001.jpg

南部もぐりは、 明治31年6月25日の夜、函館から横浜に向けて航行中の貨客船「名護屋丸」が、

洋野町種市の平内沖で座礁しました。(幸い乗客(34名)・乗組員(76名)は全員無事)

翌32年,船体は解体引き揚げされることになり、三村小太郎ら4名の房州(千葉)潜水夫が

これに従事しました。

【送料無料】あまちゃん(part1) [ NHK出版 ]

【送料無料】あまちゃん(part1) [ NHK出版 ]
価格:1,155円(税込、送料込)



この房州潜りの組頭である三村小太郎が住民のひとり磯崎定吉に ヘルメット式の潜水技術を

伝授したのが始まりだといわれています。

素潜りしか知らなかった彼らがもしこの時、 潜水夫の仕事に関心や興味や意欲を示さなかったら、

おそらく種市に「南部もぐり」は生まれなかったと思われます。

種市のもぐりが「南部もぐり」といわれるのは、当地域が八戸南部藩の領地であったことによります。


「もぐり」で意味を間違える人もいるかもしれませんが

「もぐり」は、『潜る(もぐる)』から来ています。

南部もぐり=南部詐欺師と勘違いしないように


 月刊大人ザテレビジョン関西版 2013年6月号 【表紙】 能年怜奈 【特集】 「あまちゃん」の秘密 (雑誌) / 角川GH




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。